US FrontLine
August 5, 1999
「駐在員のパラダイス・シンドローム 」
〜シリコンバレーで文化人類学調査〜 
寺口麻穂
「パラダイス・シンドローム」とは・・・

もし、みなさんが、言葉の通じない、生活習慣も全く違う未知の外国に、数年間の任務を命じられたらどう反応するだろう?ある人は、稀なチャンスに期待を大きく膨らませ、その期間に成し遂げたいと思うことの計画を手際良く立てるかもしれない。反対にある人は、友達や家族から孤立して不自由な生活を送ることが不安で、眠れない夜を過ごすかもしれない。

しかし、任務を命じられた時の反応がどうであれ、どんな人でも、住み慣れた国を離れた時、多かれ少なかれカルチャーショックを体験することになる。どんなにオープンマインドであっても、柔軟性があっても、やはり不慣れな海外での生活は、誰の上にも複雑な問題となって現れる。それは、仕事に直接現れたり、時には身体や心の病気となって現れてしまうこともある。そして、最悪の場合には、任務を早々に切り上げて帰国せねばならないという事態にまで発展する。

しかし、今回、調査研究をしたシリコンバレーには、そんな海外生活の不安も何のそのと、与えられた駐在生活をここぞとばかり十二分にエンジョイしている日本人駐在員がたくさんいる。

彼らの口から聞こえて来るのは、「日本に帰りたくない」や「シリコンバレーは最高!」など、駐在生活を賛美するような言葉ばかり。1年を通して心地良いカリフォルニアの気候のもと、日本では決して味わえない広々としたオフィスや住居で毎日を過ごし、週末は、世界トップクラスのゴルフコースでの接待。家族とのバケーションも、ちょっと足を伸ばせば大自然を満喫でき、まるで夢のよう。日本にいた時に味わっていた上司、ご近所、そして社会からのプレッシャーも、ほとんど経験することなく、のびのびリラックスして暮らすことができる。

そんな駐在員たちの生活は、あたかも「パラダイス」の中で暮らすようなものだ。この「パラダイス概念」は、多くの駐在員に浸透する一つの症候群 (シンドローム)として浮かび上がってきたのである。
                                                                           
                                
                              
<研究の経緯>

私は、98年まで、サンノゼ州立大学大学院で文化人類学を4年にわたって研究した。 文化人類学の大家であるマリノフスキー、マーガレット・ミード、ルース・ベネディクトといった学者は、あるグループと長期間にわたり生活を共にすることによって、一つの文化を共有するグループを深く理解しようとした。彼らは、そのグループの日常的行動を、徹底的に研究・分析したのである。 私は、その大先輩たちに習おうと、「シリコンバレーに一時滞在する日本人駐在員」をターゲット・グループに選んだ。そして、そのグループの中に入り込み、駐在員の徹底研究を4年越しで手がけた。

ことの始まりは、95年、大学院の教授に「ぜひ、シリコンバレーにいる日本人ビジネスマンを研究してこい!」と背中を押されたことだ。正直に言えば、「マイ・ピープル(同胞)」を勉強するより、何かもっとエキゾチックな文化を研究したいと思っていたので、その教授の勧めは、私の研究意欲をすっかり減退させてしまった。

忙しい日本人のビジネスマンが、私の研究のために時間を割いてくれるのかという不安も、頭の中を大きく占めた。なお悪いことに、私は、このエリアに7年も住んでいたにもかかわらず、日本人の駐在員とはほとんど接触のない生活を送っていたので、インタビューに協力してくれる人を探すことが、最初の大きな難関となった。

とりあえず「駐在員らしき人」を見れば声をかけ、研究の概要を説明し、協力をお願いしてみることから始めた。ところが、彼らの反応は幸運にも私の予想に反し、本当に快いものだった。声をかけた人の100%に近い確率で、協力してもらえたのだった。

協力してくれた駐在員のほぼ全員がハイテク産業に従事していたのは、シリコンバレーならではのことだろう。インタビューは、彼らの経歴、海外経験、駐在生活などについて約1時間かけて1対1で行い、許可を得て録音もした。たいていの場合、彼らが仕事中にオフィスを訪れたのだが、なかには3時間以上にわたって貴重な話を聞かせてくれた人もいたりと、プロジェクトは最初の予想を大きく履し、スムーズに進んでいった。

私の予想を裏切ったのは、駐在員の心温まる協力だけではなかった。私自身、山あり谷ありの海外生活を経験しているだけに、インタビューではきっと互いの苦労話に花が咲き、至っては励まし合いのような会話になるのではないかと、事前に予想していた。

しかし、いくら対談を重ねても、駐在員から苦労話が飛び出すことはなかった。それどころか、私の体験談に目を輝かせて、何かとても珍しい話のように聞き入る人が多いことに気がついた。私は、インタビューを重ねるほど、駐在生活は「苦労」というよりも「一時の夢のような生活」なのだと確信するに至った。大きな驚きだった。

彼らの駐在生活を聞いていると、まるで「パラダイス」であるかのようにさえ受け取れた。「帰りたくない」「楽しい」「家族揃ってリラックスしている」などというポジティブな言葉を連発する駐在員たち。私はこの現象を「パラダイス・シンドローム」と名付けた。

他国での駐在生活がどうしてパラダイスとなり得るのだろうか? 言葉の障害、異文化との摩擦、ホームシックなど、多くの問題を抱えていても、現在の生活が「天国」のように思えるのはなぜだろう? 

無数の疑問が駆け巡るとともに、ぜひ、この「パラダイス・シンドローム」の真相を解きたいと、ますます研究に熱が入っていった。研究題材の幅を広げ、駐在員の家族、彼らの同僚であるローカル社員、また、駐在員とその家族が生活のなかでかかわる人々(子供の学校、日系スーパーやレストランの店員など)、さらに日系人などの声も聞いてみることにした。
                                                                           
                                
                              
<駐在員と日本人コミュニティー>

シリコンバレーに存在する日本人コミュニティーは、大きく3つのグループに分けられる。1つ目のグループは、100年以上も前に移住してきた日本人が築き上げた日系人グループ。サンノゼのジャパンタウンを築いたのも彼らである。2つ目は、「アメリカン・ドリームをこの手で」と自らの意志で渡米し、アメリカに根を降ろし、各分野で活躍する永住組。留学生はこのグループに属するのが一番適当に思われる。そして最後のグループが、駐在員とその家族。シリコンバレーの発達とともに、この日本人コミュニティーにも数々の変化が生じているようだ。

まず、地域の産業が発達するにつれ、日本人コミュニティーの人口はここ数十年で大きく増加した。ハイテク産業で名高いシリコンバレーだけに、日本の大手ハイテク企業から送られて来る駐在員の数は、80年後半に急増した。

そして、この人口の推移が、地元の日本人コミュニティーの相互関係を変貌させていったのだ。かつては、グループ間でも頻繁な交流があった日本人コミュニティーが、「孤立した大きな3つのグループ化」しているのである。

例えば、ある駐在員婦人の話によると、30-40年前までは、日系人婦人と駐在員婦人との交流は大変盛んで、情報交換や趣味の会などを頻繁に行っていたらしい。というよりも、数少ない駐在員婦人たちは、慣れない海外生活を日系人婦人たちに頼ることで乗り越えていたのである。

しかし、駐在員婦人の数が増えた今日では、日系人婦人の援助を借りずとも、駐在員婦人たちだけで十分に海外生活を乗り越えていくことができる。彼女たちの英語力が向上したことや、様々な情報が簡単に手に入るようになったことなども、大きく影響しているようだ。
                                                                           
                                
                              
● つきあいは駐在員同士だけ

駐在員本人に対し「日系人やローカルの日本人とつきあいがありますか?」と質問したところ、「すし屋のオヤジぐらいなら」とか、「知ってるのはあなただけじゃないかな?」というほどの「淋しい」答えが圧倒的に多かった。

しかし、反対におもしろいのは、駐在員とその家族の、地元アメリカ人との関係だ。自らをどんどん他の日本人コミュニティーから隔離していく駐在員も、どうも地元のアメリカ人との関係作りには力を入れているようだ。

ある日本人ローカル社員の話によると、日本に帰国してしまった元同僚から彼らのところへは全く連絡がないのだが、その元駐在員たちも、アメリカ人の元同僚とは家族ぐるみでずっと連絡を交わしているとのことだ。

「アメリカに友達がいるって言っても日本人じゃ格好がつかないからね。きっとアメリカ人の友達でないと"おしゃれ"じゃないのでしょう」と、少し皮肉を混ぜたようなコメントが返ってきた。
                                                                           
                                
                              
● 人口増え、集団内で完結

駐在員人口の増加とともに駐在員とその家族に与えられたものは、彼らの「コンフォート・ゾーン」なのではないだろうか。コンフォート・ゾーンとは、同じような境遇を持った者同士が集まることのできる場所や、グループそのものを指す。人々は、コンフォート・ゾーン内に身を置くことにより、安心感を得ることができる。一種、人間のディフェンス・メカニズムとも言えるだろう。

シリコンバレーには、駐在員とその家族が独自のコンフォート・ゾーンを構えるに足るほど、十分な人数の駐在員がいる。さらに、彼らにより過ごしやすい場所を提供するかのように、駐在員をターゲットとしたビジネスやグループも数多く存在している。ヤオハンをはじめとする数多くの日系スーパーマーケット、趣味やスポーツを共に楽しめる駐在員婦人の会、まるで銀座や六本木のクラブがそのまま移ってきたかと思わせる「日本人ビジネスマン用」のホステスクラブ、または日本のテレビ放送やレンタルビデオ・ショップなどなど、駐在員とその家族は、こうした「恵まれた」環境のおかげで、コンフォート・ゾーンを維持することができるのだろう。

しかし、そのコンフォート・ゾーンにいる時間が長ければ長いほど、地元の日本人コミュニティーとの距離はさらに一層開いていってしまうのだ。
                                                                           
                                
                              
<駐在員が職場で抱える問題>

果たして駐在員たちは、海外の職場ではどのように過ごしているのだろう。駐在員と彼らの同僚のローカル社員が、それぞれに自分たちの関係をどう考えているのか、職場での相互関係の真相を探ってみた。

まず、駐在員の同僚であるローカル社員から圧倒的な数で持ち上がってきた意見は、「駐在員とローカル社員の関係は、あくまでもビジネス・オンリー。個人的なつきあいはほとんどゼロに等しい」というものだった。インタビューに参加したローカル社員は全員口を揃えて、「ローカル社員と駐在員は絶対に一緒にランチには行かない」と、確信を持って言い切った。「駐在員とランチやディナーに行くことがあるとしても、それは会社絡みのことだけ。個人的に出かけることは絶対にない」と、あくまでも強調。

そして、ある男性ローカル社員は、こんな話を聞かせてくれた。「僕も日本から出て来た一外人として、ここアメリカで色々な悩みがあるわけだけど、そんな話はローカル社員としかしないよね。駐在員とも、たまにゴルフや飲みに行くことがあるけど、もし僕がそんな話を始めたらきっと戸惑って黙り込んじゃうんじゃないかな?」                                                                            
                                
                              
● 立場の相違が生む溝

この「淋しい関係」の背後には、彼らの職場での位置づけが大きく関係しているようだ。駐在員として日本から送られて来る人の多くは、マネージャークラス。たいていのローカル社員は、駐在員の部下ということになる。

インタビューに応えた数人のローカル社員は、この「上司と部下」という関係を、自分たちと駐在員との乏しい交流の理由に挙げていた。また、ローカル社員から持ち上がった意見として共通していたのは、駐在員がローカル社員をどうしても、「低く」見ていると感じられるということだった。ある女性ローカル社員は、「彼らにはいつも“僕たちは駐在員。君たちはただのローカル社員でしょ”的態度を感じる」と洩らした。会社の行事などでも「駐在員オンリー」の催しものがあったりと、やはりそこには「見えない壁」が存在しているようだ。

そして、ローカル社員にとって何と言っても一番大きな壁となっているのは、駐在員と日本本社の関係である。駐在員はアメリカにいても、あくまで日本本社の社員であり、本社もまず駐在員を通して仕事を進めて行く。ローカル社員が本社に意見を出す時も、駐在員を通じてというパターンが多いようだ。

一見当たり前の運営のように見えても、この「ワンクッション」がしばしば、ローカル社員のフラストレーションのもととなってしまう。そして、本社とローカル社員の間にいる駐在員との関係に支障をきたしてしまうのだ。
                                                                           
                                
                              
● 日本の本社との板挟み

「淋しい関係」は、駐在員のほうからもこだまして返って来た。「どうもローカル社員の人たちは、僕たち駐在員と出かけたりしたくないんじゃないかなって思うよ。だからいつも駐在員にしか声をかけられなくなってしまう」と、ある駐在員。また別の駐在員は、ローカル社員との関係について、駐在員としての本音を聞かせてくれた。 「職場では一緒に働いてるけど、結局、属するところが違うんですよ。彼らローカル社員たちがここアメリカに属しているのに対して、僕たち駐在員はいくらアメリカにいても、所詮、日本に属している。だから、お互いが一様になることはできないんですよ」また、本社とローカル社員との板挟みになっている自分たちの悩みを打ち明ける駐在員もいた。 「ローカル社員の出した意見が日本本社から却下されると、いつも僕たち駐在員に対して鋭い感情が跳ね返って来るんですよね。その結論に対して僕たちは何も権限を持っていないにもかかわらず、ローカル社員にしてみれば、やはり僕たちは“日本側”という意識が強いのでしょう」

駐在員も、ローカル社員との間の「壁」では苦い思いをしているようだ。
                                                                           
                                
                              
● 日本的な女性の扱い

このほかに、駐在員とローカル社員の関係で大きく浮かび上がってきたのは、駐在員の女性差別的行動だった。いくら最近の日本人の男女平等意識が向上しつつあるといえども、アメリカは何と言っても「ウーマンリブ」発祥地。駐在員の女性に対する何気ない態度や行動が、しばしば女性ローカル社員との関係を難しくしている。

ある日系企業では、ローカル女性社員が入社してきた時には何も特別な歓迎がなかったのに、ローカルの男性社員が入って来た時、駐在員のマネージャーが世界各国にある支店に彼を大々的に紹介したという。あるアメリカ人女性ローカル社員はインタビューで、「私は日本の会社で働くアメリカ人。そのうえ女。彼ら(駐在員)が私の意見を喜んで聞くはずがないでしょう。私たちの声が全く無視されてると言って、この会社を早々に辞めて行ったアメリカ人女性社員を、もう何人も見送って来たわ」と、語ってくれた。

ほかのアメリカ人女性社員は、日本人駐在員が女性社員のことを「うちの女の子」と表現するのが許せないと言った。「女の子(girls)」は、アメリカでも40−50年代には使われていた表現らしいが、このご時世でまだ堂々とそういう表現を使う日本人男性の無神経さに驚かされると言う。

女性差別の被害は、アメリカ人の女性社員だけの問題ではなく、ローカルの日本人女性社員にも共通することだ。日本人と言えどもローカルの女性社員たちは、長年のアメリカ生活によって男女平等の意識が徹底している。それを頭に入れず、彼女たちを「日本女性」として扱う駐在員との間には、数々の問題が起こっているようだ。頼みやすいという理由で、駐在員は往々にして、自分の担当外でも日本人の女性社員に雑用を依頼することが多い。ある日系企業の人事部マネージャーは、駐在員の赴任直後のオリエンテーションでは必ず、「黒髪で黒い目だからといって、自分専属の秘書のように扱わないように」と忠告するという。

駐在員も頭ではきちんと理解しているのだが、少し時が経つと、ついつい日本にいた時のようにふるまってしまうようだ。そんな女性社員のフラストレーションが上層部にたどり着き、きちんと問題解決されることもあるが、そうでない場合には、彼女たちの転属や退職という形で終わってしまうことも多い。

強調しておきたいのは、これらの駐在員とローカル社員の問題は、駐在員にとっては駐在期間中だけのことかもしれないが、ローカル社員にとっては、駐在員と働く限り永遠に続く問題なのである。
                                                                           
                                
                              
<駐在員とその家族の生活>

日本とシリコンバレーの物質的および精神的な環境の違いにより、駐在員とその家族は、様々な生活上の変化を経験している。駐在員が真っ先に挙げた生活の変化は、何と言っても通勤地獄からの解放だった。通勤地獄からの解放は、精神的な平穏を与えるだけでなく、自分のために使える余分な時間をもたらしている。また余分な時間は、残業時間の減少や、日本では「絶対的」であった連日連夜のアフターファイブの付き合いの大幅な減少からも起こっている。

こうして得た自分の時間を使って、駐在員たちは、趣味や娯楽に思う存分興じている。特に、日本人会社員の多くが大好きなゴルフに関しては、シリコンバレーでは、世界トップクラスのゴルフコースを満喫できる。そして、忘れてはいけないのが、1年中心地よいカリフォルニアの気候。これは、駐在員とその家族が「日本に帰った時、最も恋しくなるもの」の圧倒的1位だった。
                                                                           
                                
                              
● アメリカン・マインドの影響

物質的条件のみならず、アメリカの持つ精神的なクオリティーも、彼らの人生に対する考え方に大きく影響を与えている。例えば、アメリカン・ビジネスにおいて重要なアプローチである「リスク・テイキング」。シリコンバレーはアメリカの中でも特に、ものの移り変わりのスピードが速く、ビジネスへの「賭け」が重要とされる土地だ。そんな環境でビジネスに従事する駐在員にも、ものの考え方に変化が生じている。

ある駐在員はこう言った。「失敗は成功への通り道。シリコンバレーにいて、たとえ失敗に終わることがあったとしても、色々な経験を繰り返しているうちに、たくさんのことを学んでいるのだと信じるようになりました」。果たして、彼らが日本に戻った時に、同じことが言えるのだろうか。

そして、駐在員がアメリカ社会から学ぶことの中で、最も抵抗があり、また反対に大きな魅力ともなり得る精神的特性は、アメリカの個人主義だろう。集団主義を生まれた時から教えられてきた日本人にとって、この概念にはやはり戸惑いを受ける。しかし、アメリカで数年間生活しているうちに、その特性を自らのものに定着させていく人もいる。インタビューの中でも、彼らがしきりに使うのは「うちの社」や「私たち」ではなく、「僕」や「僕の家族」だった。「会社には義理も何もありませんよ」と、すっぱり言い切った駐在員も数人いた。

仕事の一部であるはずの仕事後のつきあいも「ノー・サンキュー」でそそくさと家に戻り、テレビを見たり、庭いじりに従事するベテラン駐在員や、友達と趣味に興じる若手組。仕事後のつきあいは、彼らにとってはもはや「仕事」として映ってないのかもしれない。中には、アメリカに永住、もしくは会社のコントロール外で長期滞在するために、現地採用としての転職に踏み切った元駐在員も数人いた。その理由には、「日本のビジネスのやり方についていけなくなった」や、「どうしてもシリコンバレーに残りたいから」、さらには「好きな人ができたから」というものもあった。明らかに個人主義の影響といってもいいはずだ。
                                                                           
                                
                              
● 教育問題にも緩やかな反応

家庭持ちの駐在員とその妻たちの最大の関心事は、子供の教育だった。しかし、おもしろいことに、シリコンバレーにいる駐在員たちは、ロサンゼルスやニューヨークの駐在員のような、異常なほどの教育熱を感じさせない。地元の日本人学校の校長や教師からも、次のような意見が聞こえてきた。「帰国子女のためのセミナーなどを行っても、参加者を集めるのが結構大変なんですよ。これがロスやニューヨークだったら、親の方から要求してくるだろうと思うんですけどね」。日本人のための学校や塾の数も、ロス、ニューヨークに比べればくんと少ないようだ。ある日本人学校の校長は、「シリコンバレーという、ちょっと特殊な文化の影響でしょうか」と洩らした。親の“パラダイス生活”は、子供の教育にまで影響しているのかもしれない。
                                                                           
                                
                              
<「タイム・アウト」という概念>

駐在員とその家族のシリコンバレー生活を追う中で、特に強く印象に残ったのは、なぜか彼らからは、「現実性」を感じられないということだった。外国人としてこの国で生きることに対する苦労などが、一向に見えてこないのだ。この傾向をもたらしている要因は、駐在員はみんな、多かれ少なかれ、もうすぐ日本に帰るという意識が常に頭のどこかにあることだ。今の生活は一時的なもの、つまり「タイム・アウト(中休み)」という意識が、彼らの生活の現実性を抜き取ってしまっている。会社が十分な金銭的援助と一緒に与えてくれた一時的な恵まれた生活を利用しない手がどこにあろうかとばかりに、駐在員たちは駐在生活をエンジョイしまくる。

慣れない海外生活で問題がないわけではない。問題を問題と考えず、与えられたわずかな時間の間だけでも、思い切り楽しまねばならないのだ。問題に真っ向から立ち向かってる時間は、彼らにはない。どうせ、日本に帰れば地獄の日々が待っている。そのプレッシャーは、彼らをもっと現実から遠ざけていく。それが、このシリコンバレーの生活を「全くの現実」として日々闘い抜いている地元人との間の大きなギャップを生み出してしまう。駐在員とその家族の異常な浪費パターン、地元の法律や仕組みへの関心の薄さ、同僚や近所、地域の人々との交流の乏しさなどは、明らかにこの「タイム・アウト」概念が作り出す駐在員たちの「問題」である。
                                                                           
                                
                              
● 帰国後の海外経験の重さ

しかし、これは何も日本人駐在員に限った問題ではない。インタビューに協力してくれたローカル社員の1人は、シリコンバレーで駐在員と共に働いた後、日本に帰国し、今度は日本にあるスウェーデンの会社でスウェーデンからの駐在員の同僚として数年間にわたって仕事をしているが、スウェーデン人駐在員の生活パターンやものの考え方も、まさしく現実性を欠いているということだった。ただ、この2つの国からの駐在員を比べた時に決定的に違うのは、帰国後、社会が彼ら駐在員にどう対応するかだった。日本企業のほとんどは、海外進出を「海外に日本の技術を浸透させるため」という意識でとらえている。特に大企業になればなるほど、この色が濃い。駐在員が海外で学んできたことを積極的に生かそうという姿勢は、あまり見られない。

ある駐在員は、帰国後すぐに、人手不足という理由で違う部署に転任させられた。その部署は、アメリカで得た経験など一切必要としないところだそうだ。こうした矛盾のなかで、日本に帰国した駐在員は苦しむことになる。これは、仕事だけの話ではない。語学や文化の習得も、習得として取ってもらえない。こんな「悲しい」話も飛び出した。「ふと使い慣れてた横文字なんか出しちゃうと、もう大変。まるで半外人扱いだからね。日本を出たことのない人は、やはり外国帰りの駐在員に対して風当たりがきつい。だから自然と、駐在帰りの人ばかりが集まってグループができるんだよね。なぜか安心できるし。それは、うちの女房や子供たちも同じみたい」

いったん日本を離れた者を、もう「純粋の日本人」として扱わない日本社会の冷たい壁は、彼らの帰国に際し、彼らが海外にいた時にぶつかった問題よりも一層厳しいものとして襲ってくる。
                                                                           
                                
                              
<駐在員のこれから>

駐在員は、海外生活を終えると、またあの厳しい日本社会で働かねばならない。その上、世間は、海外帰りの彼らを「半外人」扱いし、社会からはね除けようとまですることもある。それなら、わずかな間の海外生活、今だけ夢を見させてもらえばよいではないか。どうせ、アメリカでも「地元人」として扱われることはないのだし…。果たして、これで良いのだろうか?

ある異文化コンサルタントがこんなことを語ってくれた。「外交官は、所詮、国の上層部としか接しない。その国の人口のほんの一部とだけの交流ということになる。しかし、民間の外国人は、毎日の生活の中で、数知れない地元民と接触している。同じ国から来た外交官が与える影響よりも遥かに強いものとなって残る」

駐在員などの一般の一時滞在者は、まさしく「民間大使」だ。もちろん彼らは、日本文化を伝達するために来ているのではない。日夜、会社の利益を上げるために働いている。しかし、決められた時間でより効率的に相手を理解し、相手に自分たちを理解させる方法がいくつかある。

インタビューの過程で、かつての日系人婦人と駐在員婦人のように、グループの垣根を越えて、交流活動を精力的に行っている人たちに出会うことができた。たいていは、ローカルの人々が駐在員たちを引きつけようと頑張ってるケースだったが、なかには、駐在員婦人が地域のボランティア活動に勤しんでいるケースもあった。「一時的滞在」という意識をまず頭から取り除き、積極的に地元コミュニティーに入り込み、駐在生活に現実性を刻み込んでみてはどうだろうか。

そしてもうひとつ、大変重要なキーポイントとなるのが、日本の社会の受け止め方である。海外経験のある者たちが先頭に立って、日本社会の「海外経験者」への否定的な対応を改善していかなければならない。駐在員たちは、それを成し得るだけの力を、日々の海外生活によって蓄えているはずだ。日本社会で声を大にして訴えてほしい。
                                                                           
                                
                              
■インタビュー・データ■

• インタビュー参加者の数:35人(ほかに10人が非公式な形で参加)

• インタビューの数:43件

• 性別:男23人、女12人

• 国籍:日本人30人、アメリカ人4人(うち2人は日系アメリカ人)、韓国人1人

• キャラクター:駐在員16人、元駐在員3人、駐在員の妻3人、ローカル社員9人、地元コミュニティーの人6人

• 年齢:27歳〜50代後半

• 職業:ハイテク産業の会社員、日系スーパーの店長・従業員、日本食レストラン店長・従業員、ホステスクラブ従業員、ゴルフショップ店長、日本人学校教師など

• 居住地:サンホセ、サニーベール、サンタクララ、クパチーノ、マウンテンビュー、 サンフランシスコ、オークランド、プレゼントン、ダンビル、サラトガ、ロスアルトス、サンマテオ

• 駐在員の肩書き:社長、副社長、部長、課長、マネージャー、エンジニアなど
                                                                           
                                
                              
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